文章を書くための5つのポイント。話せるのに書けないのはなぜ?

・文章を書こうとすると、固まってしまう。
・自分の気持をうまく文章にすることができない。

こんなお悩みをかかえている方、少なくないと思います。
ほとんどの場合、この2点につきるのではないでしょうか。頭の中にはいくつもの「想い」が浮かんでは消え、駆けめぐっている。もしくは書きたいことはたくさんあるが何をどう書けばいいのかさっぱりわからない。

それでも書かなくては行けない状況があるとしたら・・・。書くには書いてみたけど、自分自信で納得できる内容ではなく、相手にも自分の「想い」が果たして伝わるだけの文章になっているのか・・・?

それなので学校や職場、プライベートや趣味に副業など、これから多くの場面で使っていかなければならない「書く技術」について解説していきたいと思います。

といっても「文章を書く技術」なんて自分自身も、学校では教わっていないですし、まったくダメダメです。学校で書かされたものといえば作文や読書感想文などはいくつも書いてきましたが、それで文章を書く力がついたとは到底おもえません。

そこでこの本の紹介です。

古賀 史健さんの著書 「20歳の自分に受けさせたい文章講義」です。
長年ライターとして活躍してきたノウハウが詰まった一冊です。

1.その気持を「翻訳」しよう

言葉にできない、頭の中の「ぐるぐる」

われわれの頭の中には、たくさんの「思い」が駆けめぐっています。
「思い」は目には見えないし、言葉であるとも限りません。不鮮明な映像であったり、色だったり、漠然とした気配のような言葉以前の「感じ」です。

このぼんやりとした「感じ」や「思い」が頭の中で「ぐるぐる」としています。
「思ったとおりに書きなさい」と言われても言葉以前のこの「ぐるぐる」の状態では自分がどう思っているのか、自分でもよくわからないので言葉にできません。
 話すのであれば「ぐるぐる」の感じを喜怒哀楽の声や表情で伝えることもできます。しかし文章では声が出せず、表情も見せることができません。

 じゃあ、どうすれば文章が書けるのでしょうか。
書くことをやめて、「翻訳」するのです。

 頭の中の「ぐるぐる」を伝わる言葉に、「翻訳」したものが文章なのです。
「なんじゃそりゃ~」ですよね。

なぜ「翻訳」が必要なのか?

具体的にいうとある数学者の先生へ、著者が取材をすることになったそうです。
もし難解な高等数学の話や専門的な数学用語がでてきたら、数学が苦手な自分にとっては聞いた瞬間に拒絶反応を示して、「原稿にならないのでは」と不安だったそうです。

ところが、その先生は身振り手振りを交えて、数学という学問の面白さをわかりやすく、熱く語ってくれ「数学って、そういう学問だったのか!」と感激したそうです。

この「数学ができる人の話」を、「数学が苦手な相手」にわかりやすく伝えることが「翻訳」になります。

誰かになにかを伝えたい、相手に届けたいと思うからこそ「翻訳」をしなければならないのです。
逆に言えば、自分がうまく言葉にできたと思っても、それが相手に伝わらなければ「翻訳」は失敗ということになります。

「あー、面白かった」しか言えない人

普段本を読むときであれば「あー面白かった」と思っていればそれでいいです。それ以上の気持ちを誰かに説明する必要もなければ、主人公の名前が出てこなくても構いません。

ところが、読書感想文となれば、そうはいきません。本を読み終わって「面白かったです。」では相手になにも伝わりませんよね。

どこがどう面白かったのかを説明する必要があります。
どんな登場人物がいて、どう絡んでいったのか。主人公はなぜあんな事をしたのか。自分はどこに「面白さ」を感じたのか。それはなぜか。
という物語の内容や魅力、ポイントを自分の頭で整理し再構築しアウトプットしていかなければなりません。

 これは非常に面倒で、骨の折れる作業になります。
しかし、いったんこのステップを通過してしまえば、その本の理解度は全く違うものになります。あいまいな記憶と漠然とした自分の感情を、自分の言葉に「翻訳」していかなければならないからです。

ここで言えることは理解しているから書けるわけではないということです。
「書く」という作業の中で少しづつ解を得ていくのです。解がわからないから「書く」のです。

「考えてから書きなさい」というアドバイスは的確ではありません。
「考えるために、書きなさい」ということです。書くことで「考える力」を身につける事ができるのです。

順番が①考える → ②書く ではなく
   ①書く から → ②「考え」をまとめる事ができるのです。
書かないと頭のなかが「ぐるぐる」の状態のままですよ。まず「書く」です。

聞いた話を、「自分の言葉」で誰かに話す

これも翻訳の第一歩です。
仕事や友達としゃべったことを誰かに話すことにより「3つの再」を得ることができます。

①再構築・・・自分の言葉で話すことにより、ばらばらに散らばった内容を再構築し、理解を深めることができる。

②再発見・・・語り手の真意を再発見する。
 自分の言葉に「翻訳」する過程で「あの人の言ってる事はこういうことだったんだ!」と突然理解できる瞬間がきます。

③再認識・・・自分がどこに反応し、なにを面白いと思ったのか再認識する。自分フィルターを通すことにより、自分が対象のどこにピントを合わせているのか知ることになります。

2.文章は「リズム」で決まる

文体とは「リズム」である

 文章を語るとき、必ず登場するのが「文体」という言葉です。「あの人の文体が好き」とか「やさしい文体で書かれた入門書」とかよく使われています。
一見するとよくわからないこの「文体」という言葉ですが、みなさんわかりますか。

 文体とは
①文章の語尾が「です・ます調」と「だ・である調」を使い分けること
②「私」「ぼく」「俺」「筆者」といった主語を使い分けること
とされています。

 しかし、それだけではなく「リズム」が重要なのです。
よく語られている「リズム」のある文章として、センテンスの切り方、句読点の打ち方、改行のタイミングなどと言われていますが、それだけでもまだ足りません。

リズムのカギは接続詞にある

文章と文章の「つなげ方」がおかしくなると、論理破綻した文章になってしまいます。例えば
 「昨夜はよく眠れました」という一文と「今日は眠いです」
という一文を「だから」の接続詞でつなげては、支離滅裂になってしまいます。
つなげるとするならば
 「昨夜はよく眠れました」”しかし”「今日は眠いです」
とか”ところが” などの接続詞にしなければなりません。

接続詞は列車の連結器と同様、文章の連結という重要な役割がありますので、接続詞をあいまいにせずに、そこを意識するだけで、文章は論理破綻しにくくなり、結果よみやすい文章になります。

文章の「視覚的リズム」とは

 本屋さんでパッと本を開いた瞬間に
「なんか読みやすそうな本だな」とか
「この本、なんか読みづらそう」
と感じることはないでしょうか。

もし、ここで「なんか読みづらそう」と判断されてしまえば、本は本棚にすぐに戻されてしまうでしょう。

読者は文章を「眼」で読んでいます。
文字や句読点が並んだときの見た目の気持ちよさが「視覚的リズム」になります。

句読点と改行のタイミング

①1行の間に必ず句読点をひとつは入れる
 五七五七七の短歌は31文字で、俳句にいたってはたったの17文字です。1行40文字だとすると、情報量としては十分すぎるほど多いです。これだけの文字数を句読点もなくダラダラ読ませられることに、われわれは慣れていません。

②改行タイミングは早くていい
 句読点は「文字間=縦」の圧迫感を解消するのに有効です。
 改行には「行間=横」の圧迫感を解消する役割があります。

改行のないまま10行、20行と段落が続くと、さすがに圧迫感が出てきます。どんなに句読点を多用しても太刀打ちできません。そこで改行を使い、適度な余白がうまれ、横の圧迫感が解消されます。

読みやすさを考えるなら、最大5行あたりをメドに改行したほうがいいでしょう。

漢字とひらがなのバランスを考える

 日本語の場合、どんなに句読点を使いこなし、改行を駆使しても、避けられない圧迫感があります。
それは「文字」そのものがもつ圧迫感です。

 相対的にみて、漢字は画数が多い文字になるので、多用すればするほど見た目は「黒」に近づきます。それはそのまま圧迫感につながります。
パソコンで変換すれば「書けない漢字」まで簡単に書けてしまいます。それは優秀さの証ではありません。

それでは、ひらがなだけの文章にすれば圧迫感もなくなりリズムが生まれるでしょうか。

ひらがながれんぞくしつづけると、どこできっていいのかわかりにくくなります。やさしいようにみえてじつはやさしくなく、ひらがなにはひらがなのあっぱくかんがあります。わずかこれだけのぶんしょうでも、そうとうよみづらいはずです。かたかなだけでかかれたぶんしょうでもどうようのことがいえます。

ひらがなにはひらがなの圧迫感があります。

白いひらがなの中に、黒い漢字があるからこそ、黒が引き立つのです。
文章において漢字そのものが太字で書かれたキーワードのような役割を果たしています。新聞をながめるときに、本文中の漢字だけを拾い集めればパッと見た瞬間になにが書かれているか把握できます。

だからこそ、「漢字とひらがなのバランスを考える」ということです。

3.構成は「眼」で考える

構成の「絵コンテ」をつくる

 文章の構成を考えるとき、ただ頭の中で素材をこねくり回しても、絶対にうまくまとまりません。なぜなら、構成とは「眼」で考えるものだからです。

 映画でもカメラ割りを考えるとき「絵コンテ」というものが使われます。
このシーンでは、俳優とセットはどんな位置関係にあり、カメラはどんなアングルから撮影するのか、シーンとシーンのつながりはどうなっているのか。それらを簡単な絵と文字に起こして可視化するのです。それによって、監督やスタッフ、俳優陣の間でイメージを共有しあえるのが絵コンテの役割になります。

 文章の場合は、対象が「言葉」なので絵コンテというとピンとこないかもしれませんが、配置や組み合わせを考えるには対象を可視化できる「絵コンテ」が一番です。

 具体的な「絵コンテ」は自分にあったものを見つけていけばいいと思います。
・マインドマップ的なツリー構造で考える人
・付箋にキーワードを書いて組み合わせる人
・箇条書きがやりやすい人
・文章を図にして考える (おすすめ)

 図解するメリットは、「流れ」と「つながり」が明確になることです。
対象となるキーワードを書き出し、マルや四角で囲んで、矢印でつなげていくのです。 たとえば

「映画」→「絵コンテ」→「なぜか?」→「頭の中を可視化してイメージを共有」→「文章でもやるべき」→なぜか?」→「構成を眼で考える」→「頭の中の”ぐるぐる”を可視化できる」

というようにキーワードを矢印でつないでいきます。ポイントは、随所に「なぜか?」を入れます。こうすると、読者が疑問におもうことも理解しやすくなりますし、自分でも整理できていなかった部分が解るようになります。

「面倒くさい細部」を描く

 これは構成というテーマから若干外れてしまいますが、「事実」をいかに扱うかという話です。

 文章は面倒くさい細部を描いてこそ、リアリティがうまれます。例えば、次の3つを比べてみましょう。

①コーヒーを飲むと、眠気が覚める

②コーヒーを飲むと、カフェインの効果によって眠気が覚める

③コーヒーを飲むと、カフェインが脳内のアデノシン受容体に働きかけるため、眠気が覚める

 コーヒーを飲めば眠気が覚めるという内容は①や②の文章でもわかります。
しかし、あえて「 カフェインが脳内のアデノシン受容体に働きかけるため 」という、”面倒くさい細部”を追加することによって、話のリアリティや説得力が増します。

 また、別の例えでいうと、帰省ラッシュの渋滞について文章で伝えるとします。

①「延々と続く大渋滞だった」

②「50キロにわたる大渋滞だった」

③「ほとんど動けないままミスチルのベストを聞き終えてしまった」

 どうでしょうか。
①だと5キロなのか100キロなのか何も伝わりません。

②だと具体的な数字が入り、多少イメージすることはできます。ですが、リアリティという意味ではもう一歩足りません。

③になると、時間だけがむなしく過ぎていく、まったく動こうとしない運転席の情景が伝わってくるのではないでしょうか。

 本当のリアリティは、日常の何気ないところに転がっています。面倒くさい細部を描写することによってそれは、うまれます。

4.読者の「椅子に」座る

 料理やコーヒーがおいしい、清潔で雰囲気も悪くないカフェがあります。
ところが何件かに1件ぐらいの割合で、椅子やテーブルのぐらつきがある店があります。

オーナーも新メニュー考案には、何度も試食を重ね、コーヒー豆も自分の舌で味を確かめることでしょう。

しかし、そのときに、「お客さんの椅子」に座って試食しているでしょうか。

もし、すべての椅子にひとつも漏らさず座っていたら、テーブルや椅子のガタツキはすぐに気づき、なんらかの補修をするはずです。
お客さんの目線にどんな風景が入り、どんな気分で料理を食べるのか、「お客さんの椅子」に座らないことには本当の意味で理解できません。

それは、文章についても同じ事がいえるのではないでしょうか。

5.原稿に「ハサミ」を入れる

 まずは頭の中の「ぐるぐる」を紙に書きだしましょう。
素材や題材は、頭の中に思いや気持ちがうず巻いていますが、見えていません。
それを、思いついたことをノートでもメモパッドでもコピー用紙でも付箋でもいいので、どんどん書き出していきましょう。そうすれば、頭の中を可視化することができます。

日本語は英語と違い、結論が最後に来ます。日本語で長文を書くと「いまなんの話しをしているのか」が不明瞭で、読者は集中して読むのが難しくなります。

 「何を書くか?」ではなく「何を書かないか?」なので
「もったいない」や「せっかく書いたのに」を退け、すこしでも長い文章をみつけたら、さっさとハサミを入れて、短い文章にした方がいいです。
理由は、①リズムをよく ②意味を通りやすく ③読者の不安をやわらげるためです。

映画の撮影したカットを、削り落としつなげていく映像の編集の作業のイメージです。
すぐれた映画を見れば、無駄なカットなど1秒たりとも存在しないし、すべてのカットに意味があります。編集の見事な映画をじっくり鑑賞すれば、文章のトレーニングに最適です。

「右手にはペンを、左手にはハサミを」
推敲とは、ハサミを使った編集である。

6.終わりに

 本を読むのもいいですが、とにかく書きましょう。学生時代にどれだけ作文が苦手だった方でも、ここまで読んでいただけたなら、もう書けるはずです。140文字のつぶやきでもいいです。とにかく書きましょう。

 自分がどんな人間なのか。自分はどこにいて、なにを思い、なにを大切にしているのか。その思いを誰に伝えたいのか。書かないことには「ぐるぐる」は晴れません。書くことで答えを探しましょう。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。